2020年6月11日|トルコ行進曲
今日はこの前の発表会でやる予定だった「トルコ行進曲」やろうよ、と言うと「いいよ」と言って彼は弾き始めた。
びっくりするくらいのテンポアップで、もちろん弾き切れない部分も多々あるんだけど、一体この子は突然何に目覚めたんだろう?と思うくらいのテンポだった。
無謀な挑戦なので止まり止まり、なんだけれど、大丈夫、いいから進んで、いけいけどんどんで演奏させると、最後のコーダまで突入した。
うちの監督も珍しく彼の後ろに立って様子を見ている。「もっと弾いて、もっと!」と煽りまで入れ始める。
彼の額から汗が吹き出し、店内の体感温度も上がってきて、熱い。
左手が十六分音符になったところでペースがどん、と落ちたのでもっと軽く、弾いてないくらいでいいんよとお手本をすると、するすると呑み込み、テンポに到達する。
最後の最後で言いきれなかったので、最後までちゃんと弾けっと今まで言ったことないくらいの厳しい口調でつい言ってしまったが、そうすると彼なりにしっかりとトライして「最後まで弾き切った」。
ユジャワンのトルコ行進曲(あのコンチェルトの後のカーテンコールのファジルサイ版のやつ)を見せて、パッションで弾けよという話をした。
去年一年は大人になる自分とまだまだ子どもの自分の間で葛藤があった彼だが、何に吹っ切れたのか、チャレンジする、ということを実行し始めている。
今後もっとデカい谷が来るんだろうけれど、ピアノが、音楽が彼の助けとなりますように。
先生、というものの意義について考えた。
0コメント