レッスン日誌

今日の生徒さんの交換ノートのテーマは「今週読んだ良かった本」だった。

彼がおすすめしてくれたのは宮西達也さんの『トラネコとクロネコ』。

おすすめポイントもおしえてね、と言っていたら、

「トラネコとクロネコがかけっこをして、片方がコケちゃうんだけど、もう片方が助けに行くところが感動した」

と丁寧に教えてくれた。わたしは恥ずかしながらタイトルでググってしまったんだけれど、なるほど、トラネコとクロネコはお互いに自分の良いところ自慢をしまくっていて、終盤でそうなるみたいで、それにしても絵が面白いから、とか、猫が好きだから、ではなく、彼が内容についてしっかりと共感を持っていることに、すっかり感心してしまった。

彼は読書家なのでこのテーマは引き続き話を聞きたいなと思っている。

そんな彼はこの2か月間で右手も左手も8割方弾けるようになった『ルパン三世のテーマ』の後半を両手合わせて弾くのには反対みたいで、わたしは賛成だと言い続けている。前半はよくよく弾けているので、必ず弾けると思う。あ、そうか、右手と左手が助け合う、と教えればいいのかもしれないな。

わたしは小学校の頃交換ノートがめちゃくちゃ好きで、仲良くなった子に「交換ノートしようよ!」と声をかけていた。

その子の日常、好きなもの、嫌だったこと、感じたこと、くせ字、流行っていたラメやぷっくりしたカラーペン、シールにイラスト。色んなものをひっくるめて、一緒に共有することが好きだった。

(交換ノートは中学・高校と上がるにつれて可愛いメモ帳やルーズリーフを使った文通に変わり、大学になるとLINEになって、字を書くことは少なくなったし、それと同時に人とのつながりも希薄になってきた気がする。)

この度、【クレモナ音楽教室】のピアノの生徒さんと「交換ノート」をすることに決めた。

レッスンでわたしが感じたこと、良かったこと、もう少しのこと、どうしたら出来ないことを出来るに変えられるかのアドバイス等、その場その場では浮かんでは消えてしまうアイデアや言葉を書き留めて伝えることが必要な段階に来ているように感じていたからだ。

コロナで今年は発表会を開催できなかった。本番の舞台で、お客さまの前で演奏する、ということがどれだけわたしたちの区切りになっていたか今更ながら実感していて、ステージでもらう拍手にはかないっこないんだけど、彼らに毎回のレッスンで少しでも「自分の進歩」を感じてもらいたいと思っている。だからこのノートには今の現状や少しの変化をなるべく詳しく、率直に書き留めていきたいと思う。

そして、わたしは宿題を出したくない主義だったのだが、「課題」というかたちではなく「おうちワーク」というかたちで、練習が必要な子は簡単な練習を(無理のない範囲で)、色々なものを感じてほしい子にはそのお題を(今週一番美味しかったもの、とか、今週かいだ匂いで一番いい匂いだったものとか)出してノートに書き留めてきてもらう。

上級生には、練習でわからないことや、ピアノや音楽のことで聞きたいことを書いてきてねと伝えた。

生活の先に音楽があって、それを表現する媒体として「自分はピアノが弾ける」というのを実感してもらいたいと思っている。

「恋愛をしないと音楽がわからない」とか「音楽家は痛みが音色になる」とか、意味不明でそういうのわたしは大っ嫌いなんだけど、音楽は常に生活とともにあるし、音楽が生活のたすけになることがこの先たくさんあると思う。

そして、このSNSが発達してみんな同じレイアウトの同じフォーマットの画面で発信していくペーパーレスの現代で、彼らにとって「ノートに書く、読む、のこす」という作業がどこかで必要になる気がして。読んで成長を実感したり、書くために考える、書いて考えることが楽しいと思えるようなきっかけになればと考えている。

ノートの内容も、それぞれによってどんどんとアップデートされていくだろうし、その変化をわたしは楽しみにしていて、それはきっとピアノの演奏にも顕れてくるだろうと思う。

悩んでいる。生徒たちは音楽でこれから音大に行きたいわけでも、飯を食っていきたいわけでもない。将来の夢は別にあるだろうし、なんならお母さんに言われてるからなんとなく来ているくらいの感じなのだと思う。

と、なると、この音楽教室では何を教えればいいのだろう?もちろんピアノの弾き方、楽譜の読み方、音の聴き方。これだけでいいのだろうか?

この教室では「出来ないことはさせない」だから「無理って言わない」という【約束】を一番初めにする。もちろん目の前の課題に直面したときに「あ、無理!」っていう子もいるし気持ちもよおくわかる!のだが、なるべく機嫌よく前向きにトライできるように促していく。

「座力」という言葉があって、これは読んで字のごとく「座っていられる力」なのだが、これってかなり難しいことみたいだ。しかも集中をもって座り続けるというのはかなり根気のいる作業らしい。そのため、たしかにピアノを習う=座力・集中力をつけるというのは納得できる。これから大学までは勉強しないといけないわけだし、そのあともデスクワークが必要だと思う。

絶対音感、はどうだろう?わたしは基本的には相対音感で、楽音やよっぽど混ざりけのない音(クラクションやサイレン、エレベータの音とか)は絶対音で取れる。コーヒーの焙煎の時の音も混じり気が少ないからドレミで聴こえる。その他の音は部分的に聴こえる。この力はやっぱり音楽をやるには便利だと思う。自分の好きな曲を演奏できるって、もの凄くハッピーなことなんじゃないかなって。水道の蛇口の音、環境の色々な音がドレミで聴こえるようになるってどういうことかというと、どういう音で構成されているか理解できるようになることだと思う。決して単音ではないというのがみそだ。そういった超能力みたいなものよりもさらに実用的なものとしては、語学のリスニングやスピーキング(真似をする)の力はたしかにつくと思う。楽譜ができるまではいかないが、音まねができる。基本的に赤ちゃんが言葉を覚えるのも音まねから始まるのと一緒で、語学のその基本的なまねの性格さがおそらく、音楽のレッスンを受けている人とそうでない人では格段に違うのではと思う。

ということで、こんなにピアノ習うのっていいことなのだが、「生きた英語」みたいな言葉があるように、さらにわたしは「生きた音楽」をもっと教えたいと思う。

その「ピアノが弾ける」スキルが、必ず人生の役に立つことがあるように。音階も「ハ長調」なんかよりも「C major」と教える方がいいだろうし、ハノン的な練習よりももっとコード感を教える方が役立つだろうなと。一生音楽と付き合う、どこかでやめても、どこかで帰ってきたらいいじゃない。別に音楽が敵になることなんて普通に生活しているとないんだから。ずっと音楽がどこかで自分自身の「力」になるように、教える方法ってあると思うし私自身ももっと実践できるんじゃないか。

そんなことをぼやぼやと考えながら、今週もピアノっ子たちをレッスンした。最近心なしか「これ弾けんねん」と耳コピしてなんとなく右手で弾いてくる生徒さんが増えてきた、ような気もする。

やりたい曲があるっていうのに、既成楽譜にレベルが追い付いていないから待った待ったを続けてたのだが、だからといってその楽譜が良いわけではないし、あんまりぐっと来なかったので、自分で作ることにした。

もういい。

今現在のレベルよりちょっと難しくって、今やってほしいことをこの楽譜に詰め込んだらいいのだわ。

対話をしながら楽譜を作り上げていく作業が面白くて、なんとなくわたしからのメッセージも伝わっているのか、一生懸命練習している。レッスンが終わってもピアノを弾きたがる。

今やりたい曲を今やらずにいつやるねん!?当たり前のことやけど、既成の楽譜を作った人にはこの子のレベルなんてわからないんだから。


厳しいレッスンというのをわたしはこれまでに受けたことがない。多分。だから自分なりの厳しさをはかりながらレッスンに臨むようにしている。

出来る限り正直に。今の現状を伝えてそれをどう改善するのかを提案する。そして一緒に取り組む。

頭ごなしにだめ、へた、むりというのはとても簡単なことだ。ただ、それをどう克服させるのか教えない限りはそれは単なるクレーマーでしかない。

自分の位置や現状を知ることってあまりない。客観的にそれを彼ら彼女らに伝えられるのは直属の先生の役割だと思う。

しっかりと気分を乗せて前向きに音楽や自分と向き合えるようにサポートする。そして改善し、克服し、成長させる。

自分は偉大な先生になりたい、なんて思ったこともないけれど、お互いに時間が限られている。その中で一歩でも前進させたい。

アンサンブルが「合っている」という感覚って、もちろんアンサンブルしないとわからない。

だから日曜日のオカリナ教室では、『整理する』と表現して、アンサンブルを作っていく。

スコアを俯瞰して見ろ、なんて、音大生でも難しいことを、生徒さんに押し付けることなく、

それでも自分のスコアにおける役割(基本的にメロディラインなのか・伴奏なのか)、とか、誰を聴けばよいか、とか、今ちょうど音が混ざっている(ブレンドされている)とか、そういう自分の演奏にプラスアルファしたら、そのアンサンブルがぐっとよくなることを選んで言葉にしている。

今日のレッスンでは、Jackson5の「I want you back」の、5パート全員が違うことしているけれど、合ったらグルーヴが生まれる部分を重点的にレッスンした。

この人のここの部分と合ってるんですよ、みんなでここが合うんですよ、とアドバイスすると、本当にアンサンブルが生まれるから面白い。

いかに意識をもって、記憶力で臨めるか…ちょっとのことなのだが、大きな差が生まれる。

新しいWebカメラを買った。ZoomのQ2-4k。ものすごくいいものだと思うのだが、知識不足で宝の持ち腐れになりそうだったので、まじめに1時間勉強して使用した。音のクリアさが全然違う。

ただ、「カメラ機能付き録音機」という認識でいた方がよさそうで、画質はどう考えてもCanonの一眼の方がきれいだ。(そりゃそうだ)

この演奏はこちら。

アストル・ピアソラ「Contrastes」

楽譜をいつ読めるようになったんだろう、と考えることが最近多々ある。

彼らはどうしてこんなに簡単なドレミファソを読めないんだろう?と教師にあるまじきことを常々思うのだが、

楽譜って、音符の位置やかたちという視覚的な部分と、やはりそれが音として頭に入るという聴覚的な部分と、演奏するという触覚的な部分と、3つのポイントをマルチに出来るのが基本だと思う。

だからとりあえず年が若ければ若いほど、耳から取り込んだらいい気がする。その次に触覚。視覚的にはあとからでもできる気がする。

これもまたシナプスの話なんだけど、繋がるまで繋げたらいいよね。根気よく。ボンドでもセメダインでもアロンアルファでもセロテープでも、なんでもいいから繋げる仕事なんだよな。

今日はこの前の発表会でやる予定だった「トルコ行進曲」やろうよ、と言うと「いいよ」と言って彼は弾き始めた。

びっくりするくらいのテンポアップで、もちろん弾き切れない部分も多々あるんだけど、一体この子は突然何に目覚めたんだろう?と思うくらいのテンポだった。

無謀な挑戦なので止まり止まり、なんだけれど、大丈夫、いいから進んで、いけいけどんどんで演奏させると、最後のコーダまで突入した。

うちの監督も珍しく彼の後ろに立って様子を見ている。「もっと弾いて、もっと!」と煽りまで入れ始める。

彼の額から汗が吹き出し、店内の体感温度も上がってきて、熱い。

左手が十六分音符になったところでペースがどん、と落ちたのでもっと軽く、弾いてないくらいでいいんよとお手本をすると、するすると呑み込み、テンポに到達する。

最後の最後で言いきれなかったので、最後までちゃんと弾けっと今まで言ったことないくらいの厳しい口調でつい言ってしまったが、そうすると彼なりにしっかりとトライして「最後まで弾き切った」。

ユジャワンのトルコ行進曲(あのコンチェルトの後のカーテンコールのファジルサイ版のやつ)を見せて、パッションで弾けよという話をした。

去年一年は大人になる自分とまだまだ子どもの自分の間で葛藤があった彼だが、何に吹っ切れたのか、チャレンジする、ということを実行し始めている。

今後もっとデカい谷が来るんだろうけれど、ピアノが、音楽が彼の助けとなりますように。

先生、というものの意義について考えた。

先週シナプスがつながらなかった彼は、今週はしっかりとつながって、一曲きちんと弾けるようになった。

そしてそこにおそらく因果関係があると思うのだが、ソルフェージュでピアノを弾きながら「歌う」ところで、音がしっかりと取れるようになってきたように感じる。

弾いて歌うこと。頭の中できちんとリードボーカルがいること。音が聴こえてくるようになるんだろうな…ととても楽しみに思った。

音階、スケールを教え始めた。

指をくぐらせるタイミング、臨時記号の位置を覚えたら、あとは勢いで…と言いたいところだが、音階練習の大切な要素に「テンポづくり」があると思う。

メカニカルに、テンポを的確にブレずに演奏するのは、演奏家としてはマスト。そのため、一定のラインを超えると必ずメトロノームをつけて演奏させる。

メトロノームの練習以外でテンポ感が身につくことなんてない。だから、(生徒さんたちにとっては残念なお知らせかもしれないが)ある程度進んだらレッスンではメトロノームをつけて演奏させることにしている。

自分がファゴット奏者であるから、か、そこはどうしても譲れない。今後彼らが誰かと一緒に演奏することになったとしても、きちんと相手と渡り合えるように。テンポってもの凄く重要だしわたしは重視している。

【クレモナ】オカリナ教室の最大の強みは、生徒さんそれぞれにあった楽譜とレッスンを、アンサンブルで同時並行して行っている、ということだと自分では思っている、

今まで自分が、初心者のころから言われてきたことをたどりながら適切な言葉にする。そして適切なお手本を演奏する。

「適切な」というのは「いい湯加減」というところで、熱すぎてもぬるすぎてもいけない、あくまでもその生徒さんにとって一番いい湯加減をわたしは探っている。

ということで、この日曜日の朝の30分間が自分にとってとても学びのある時間だし、整理される。

今の課題曲はJackson5の「I want you back」。アレンジが悪くて(わたしの)、せっかくメインになる難しいパートが、引き立たなかった。もう少しメロディラインを増強するようなつくりにすればよかったのだが…メインになる生徒さんがとてもばりばり吹いてくださるので、安心して任せられる。

次の課題曲はベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の第2楽章にすることになった。わたしがファゴットを吹けば、1オクターブ半も出ないオカリナのアンサンブルでピアノ曲が演奏できるというアドバイスを受けて、トライしてみることにした。

このオカリナ教室は私自身のスキルアップの大切な時間である。